慈眼院について

  • 略記
  • 文化財
  • 霊場会(仏塔古寺十八尊霊場、
    泉西国三十三カ所観音霊場)
  • 略記

    慈眼院(じげんいん)は京都の仁和寺を本山とする真言宗御室派の寺院です
    略記01

    泉州大井堰古絵図 / 江戸期

    天武2年(673)天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨によって創建された泉州の最古刹です。創建当初は、井堰山願成就寺・無辺光院と呼ばれていました。天平年間になると、寺領に1千石が加えられ、聖武天皇の勅願寺となりました。

    弘仁6年からの2年間は、宗祖弘法大師のご留杖により、多宝塔、金堂の造営を始め、一山がことごとく整備され、鎮護国家の道場にふさわしい輪奐の美を誇るところとなりました。その後はたび重なる戦火に盛衰を繰り返すこととなります。

    慶長7年(1602)豊臣秀頼が一山を再興。奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊(現・慈眼院)・下之坊(現・日根神社社務所)・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂などの諸建造物がこの時の造営によって再建されたといわれています。

    江戸初期の寛文年間には、岸和田の領主岡部侯の帰依を得て一山の大営繕が行われ、その時、総法務宮であった京都仁和寺の性承門跡より「慈眼院」の院号が下賜され、仁和寺の末寺となって今日に至っています。
  • 文化財

    建築物

    多宝塔(国宝)/鎌倉期

    多宝塔【国宝】/鎌倉期

    金堂(重要文化財)/鎌倉期

    金堂【重要文化財】/鎌倉期

    本邦洋式製革始祖碑/明治期

    本邦洋式製革始祖碑/明治期

    食野家十三重石塔/江戸期

    食野家十三重石塔/江戸期

    仏像

    大日如来座像(多宝塔本尊)(府・重文)/平安期

    大日如来座像(多宝塔本尊)【府・重文】/平安期

    薬師如来座像(金堂本尊)/鎌倉期

    薬師如来座像(金堂本尊)/鎌倉期

    毘沙門天立像(金堂脇侍)/鎌倉期

    毘沙門天立像(金堂脇侍)/鎌倉期

    千手観音立像(本堂脇堂)/江戸期

    千手観音立像(本堂脇堂)/江戸期

    弁財天曼茶羅/平安期

    その他

    大井堰古絵図/江戸期

    大井堰古絵図/江戸期

    柿経(笹塔婆)/室町期

    幅1cm、長さ30cmほどの薄板に経文を書き、渦巻形に束ねて奉納されたものです。多人数による写経が一般化した中世庶民信仰を物語る貴重なものといえます。

    • 柿経(笹塔婆)/室町期
    • 柿経(笹塔婆)/室町期

    境内地【国・史蹟】

    境内地(国・史蹟)

    井川(ゆかわ)【世界かんがい施設遺産】

    井川(ゆかわ)【世界かんがい施設遺産】

    姥桜【府・天然記念物】

    姥桜【府・天然記念物】

    棟礼/安土桃山期

    大井堰造営記/安土桃山期

  • 霊場会(仏塔古寺十八尊霊場、和泉西国三十三カ所観音霊場)

    仏塔古寺十八尊霊場

    先祖供養の十八尊を巡拝し、あわせて五重塔、三重塔、多宝塔等々の仏塔供養をかなえる霊場めぐりです。
    大阪、京都、和歌山、奈良、兵庫の二府三県にまたがり仏塔をめぐります。

    慈眼院は「第12番札所 大日如来(金剛界)」です。

    霊場めぐり(仏塔古寺十八尊霊場、和泉西国三十三カ所観音霊場巡拝)

    和泉西国三十三カ所観音霊場

    大阪南部の観音様をお祀りしている寺院の霊場会です。堺市から阪南市までの33の寺院と客番の3ヶ寺で構成されています。

    慈眼院は「客番札所」です。

    和泉西国三十三カ所観音霊場